2011 温もりを求めて

夫婦・親子・人間関係・機能不全家族・発達障害ADHD・虐待・トラウマ・ネグレクト・セックスレス・モラハラ・産前産後の不安などについて。

人は、人を「実験」してはいけないんだ。親子、夫婦、人間関係全てに言えること。

奈良県生駒市で 家族問題カウンセラーをしております。

 

主に 夫婦関係カウンセリング 親子・育児相談

(保育士の経験もありますので色々な方向から) 

 

人間関係など・・・

 

心が傷ついて考えても

同じところに戻ってきてしまうパターンが始まったら、

 

一度のぞきにいらしてみてください。

 

お役にたてれば幸いです。

 

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-believe in yourselfー 自分の考えを信じてね・・・

 

 

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アメブロ過去記事8月5日投稿記事より…

 

 

※いつもお読みいただき有難うございますm(__)m


ブログをアップしてもここ最近皆さんの所へお邪魔できず申し訳なく思います。


私のブログで何かの助けになれますことをがあれば大変有難く嬉しく思います。


今日も宜しくお願いしますm(__)m

 「人は、人を「実験」してはいけないんだ。」
親子、夫婦、人間関係全てに言えること。」


親は子供に「普通でいてくれること」を望む。
その親の望む「普通」って何を指すのか。

周りと同じように生き
周りと同じように学校へ行き

子供が「普通」にいられるように
子供が周りに置いてきぼり食らわないように

親は心配して色々子供に言う。



私の好きな梨木さんの本から
今日はこんな文章を見つけました。^^


「人は、人を「実験」してはいけないんだ。

そう確信したとき、僕は自分がなぜ、
「ドッキリカメラ」系統の番組が嫌いだったのか
その理由がはっきり分かった。

あの嫌悪感は「故なきもの」じゃなかった。
そうだ。自分は何が好きで何が嫌いか。
他人がどう言っているか、
定評のある出版社が何を出しているか、
部数の多い新聞社がどう言っているか、じゃない、

他ならぬ自分はどう感じているのか。


大勢が声を揃えて
一つのことを言っているようなとき、
少しでも違和感があったら、
自分は何に引っ掛かっているのか、
意識のライトを当てて明らかにする。

自分が、足がかりにすべきはそこだ。

自分基準で(スタンダードで)
「自分」をつくっていくんだ。

他人の「普通」は、そこには、関係ない。

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
梨木 香歩 / 理論社



思い出してみれば、ふじたが幼いころから
「ドッキリカメラ系統」の番組はありましたね。

当時は何も考えずに笑って見てました。

あの頃は、ああいう番組を見て
ストレスを発散していた気がします。

公の人を
公に笑い者にし、
さらし者にし、

そして堂々と自分がスッキリする。


そこに、隠している
「色んな怒り」もついでに発散させる。


大きくなるにつれ、(大人になるにつれ)
見てて腹立たしさを感じてはいたけれど、

逆に今度はその腹立たしさを抑えるために
ストレスを抱えることとなる・・・

本当は笑いたくないのに
皆が笑っているんだから、
自分だけ笑わないで居ると、

周りから

「変人扱いを受ける。」

という恐怖が今度は自分を襲う。

本当は、笑いたくはないのだけれど
そのさらし者になっている、
その笑い者になっている、

その人を見て

何かを自分が感じ
怒りが湧いてるんだけれど…

そこまで、あの当時は
自分のことなんて分かっちゃいなかったので…💦

※余談だけれど、このさらし者になっている芸能人たちも、
この仕事を選んでいる。
この「身体を張って笑い者さらし者になること」で、
誰かを笑顔にするこの仕事を選んでいる。
彼らは、そこにある意味価値を、
ある意味誇りを持って
仕事をしている。
だから、ここで私が何かを感じて笑いたくないのは
私の傷だということなんですよ。



親は、子供に対して

普通で居て欲しい。

普通でええねん。

それ以上は何も望まないから。


子供の幸せを願い、そう思う。


そうすれば、生きていけると信じる。

そうすれば、皆と一緒にいられる。

そうすれば孤独にはならずにすむ。

(それらは大きな勘違いなのに…)



けど、その親の感情を

「愛情」だ。

と思いたい…と願う人も居る。


でもね、その親の感情、、、

愛情かどうかは

ハッキリ言って 謎 です。


むしろ、それ、子供側からすれば

その親の想いは

ただただ重いだけ、、、かもしれません。



それより、なんで自分は(親)は
そう思ってしまうのか・・・

そこに注目した方がいい。


自分は何に引っ掛かっているのか、
意識のライトを当てて明らかにする。
自分が、足がかりにすべきはそこだ。


はい、そこです。


親が足がかりにしなければいけないところは
そこです。


大勢が声を揃えて
一つのことを言っているようなとき、


この「皆と同じなら間違いない。」という前提は
何処から来たものでしょう?

皆と同じでなければ安心できないのは
いつからでしょう?

笑い者、さらし者になって
異端児にならぬように
親は必至こく。


そこに、本人が「どうしたいのか?」ってところに
親が気に掛けられないのは 何故か?


この親の傷を子供に擦り付けて
子供の人生に土足で踏み入る権利は
親側には ありません。


このあたりのことを次回のブログで
もう少し突っ込んで具体的に書きたいと思います。


親側の傷が癒されれば
どんな変化が起きるのか。

そこを書きたいと思います。


いかに、親の傷が子供に影響を与えるのか…
(だからと言って、
親を責めているわけではありませんからね^^)

親が自分と向き合うことで
親が楽に自由になることで
どれだけ子供が生きやすくなるのか。

親が自分と向き合うことを避けてると
子供の回復が それだけ
先延ばしされてしまう・・・

親側に自分と向き合う勇気が持てないのに
子供はどうやって勇気を持てますか。


親が癒されると
親が自分の為に自分と向き合うと
子供との関係が良好に必ずなっていきます。



そのほんの一例を次回に^^


切っ掛けは、
些細なことから…かもしれません^^

今日は

「人は、人を「実験」してはいけないんだ。
親子、夫婦、人間関係全てに言えること。」

ってお話でした^^

世間が言う
「普通」って言う言葉のゲームに
乗らないこと。

その「普通」

ホントに 自分の中にある「普通」なんだろうか?

自分の「普通」「当たり前」を持っていい。

その代り、その自分の「普通」「当たり前」と
自分以外の誰かの「普通」「当たり前」は

同じじゃないことは分かっておかなければいけない。

それが、お互いの「自由」なんだから。

だからこそ、

誰かの「普通」「当たり前」に
振り回される必要が無い。

・・・ということです。!(^^)!


では又次回へと続きます^^



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