2011 温もりを求めて

夫婦・親子・人間関係・機能不全家族・発達障害ADHD・虐待・トラウマ・ネグレクト・セックスレス・モラハラ・産前産後の不安などについて。

一人一人の正義は違って当たり前。その人の生き方を尊重できているかどうか?

奈良県生駒市で 家族問題カウンセラーをしております
藤田 ちぐさ です。
主に 夫婦関係カウンセリング 親子・育児相談
(保育士の経験もありますので色々な方向から) 
人間関係など・・・
心が傷ついて考えても
同じところに戻ってきてしまうパターンが始まったら、
一度のぞきにいらしてみてください。
お役にたてれば幸いです。
fujita counseling ふじたカウンセリング 

-believe in yourselfー 自分の考えを信じてね・・・

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アメブロ過去記事2020の年9月29日投稿記事より…

 

※いつもお読みいただき有難うございますm(__)m
ブログをアップしてもここ最近皆さんの所へお邪魔できず申し訳なく思います。
私のブログで何かの助けになれますことをがあれば
大変有難く嬉しく思います。
今日も宜しくお願いしますm(__)m

 

人は一人一人に生きてきた

(歴史)経験がありますよね。

 

毎回のように、このことについて書く時

必ず押さえているのは

同じような、似たような経験をしていたとしても

皆が皆、その経験、事件、傷によって

思うこと感じること学び取ることは違う。

 

ということです。

 

そしてその経験によって決断したことや

受け取ったことは

一生変わらない人もいれば

その後の人生で出会うご縁によって

受け取り方や感じ方が

180度変わることも起きます。

 

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先日青森に住んでた頃に

夫に頼んで購入してもらった電子ピアノ。

 

保育士していたころの

動揺を弾いたりしていたのですが

もう何年もピアノに触らなくなり

ようやっとの思いで(笑)

手放す決意をしました。

 

老後、のんびりする時間が出来たとき

ボケ防止に(笑)もう一度ピアノを習いたい。

その時のために残しておこう。

 

そんな風に思っていたのですが

今鍵盤を触ってもらうこともなく

いつやってくるか分からん生い先のため

置いておくより

今、もらってくださる方がいるのなら

その方に使っていただいた方がいいわ。

 

そう思えたんです。

 

こういうときって流れが一気にやってくる。

 

すぐに引き取り手が見つかって

翌日には取りに来てくださいました。

 

そしてそのピアノを置いていたところに

ちょっとした手元に置いておきたいような

セッションで使ったりするカードや

心理関係の本や観葉植物を設置。

(小ぶりの本棚)

 

毎晩単身赴任している夫に

家族LINEで電話するのですが

その時にピアノを置いていたところに

新しく設置した本棚をカメラで見せて

 

「これ見て見て!!すっきりしたやろ?」

と!(^^)!👇

image

 

家族写真などはちょっと色で隠しましたが

こんな感じになりました。

 

ビフォアーがないので

変化は分かりにくいと思いますけど💦

 

でですね、、、

私この時は気が付かなかったんですけど

 

あれ?そういえば…って思い出したんです。

 

夫は私がピアノを弾かなくなっても

一度も何も言ってこなかったし

今回、勝手に撤去して

「スッキリしたやろ?」なんて

平気で言えてるぞ、、、と。

 

 

私はいつも自分で決めたことや

勝手にやったことに対してバレたとき

「怒られる、、、どうしよう、、、💦」

 

しかなかったんですね。

 

ほんで10数年前の私なら

「せっかく買ってくれたピアノを

弾かなくなっただけでも不快だろうに

勝手に撤去したら今度帰省した時

なんて言われるんやろうオドオド、、、」

って思ってビクビクしてたんですけど…

 

「これ見て!!

スッキリしたやろぉ~~~(^^)」

むっちゃスマイルです(笑)

 

そして実際、夫は全く怒っていなくて

「なんや、オルガンなくなっとるやんけ。」

子供たち

「オルガンちゃうで!

電子ピアノやで!(笑)」

 

持っていた、握りしめていた

自分にとって不要な荷物はいつの間にか

手放せていることがあります。

 

私の場合なら

自分で決断してはけない。

勝手に行動を起こしたら

必ずケチをつけられる。

そしてその結果

叱られる。

 

こんな諸々の思い込みや信念が

私の幼少期の経験から

家族システムの中で作り上げられ

持ち続けるんです。

 

だけど、これらの思い込みや信念を

自分に対して「手放してもいいんだよ~」

って許可を出せるまでに

そしてそのことに気が付けるまでに

時間がかかることがありますし

手放せないこともあります。

 

「手放せないのがダメ。」

ということではありません。

 

人にはそれぞれの正義があって

その正義は全ての人にとっても

正義とは限らないんですね。

 

委縮して

「どうしよう、怒られるかもしれない…」と

思っていたころ。

私が幼少期ビクビクおどおどしていた

周りの環境達にとって

それが正義だと

かたくなに持ち続けていた人たちにも

似たような歴史があるんです。

 

「せっかくお前のために

○○してやったのに!」

 

「こっちはお前のために

自分の時間を犠牲にして

動いてやったのに!」

 

正直、私にとって理不尽ですが

この人たちにとっては正義と言うか…

 

○○してやってるんだから

お前は▽▽して当然。

 

なんですね。

 

この人たちにとっては

それが当然であり

当たり前であり

普通なんでしょう。

 

そしてその当然で当たり前で普通は

私にとっては

当然でもなく当たり前でもなく普通でもなく

むしろ不快でしたが

その人たちのその生き方は

今の私は尊重しています。

 

先にも言いましたように

手放せないことがダメではないからです。

 

伝わるかどうかは分かりませんが

正義とはその人にとっての正義であり

全ての人にとっての正義ではない。

と書きましたけど

 

それは例えばこんな場合。

 

同じ行為でも別の姿に見えることがあります。

 

今はしておりませんが以前NHK

「10代の喋り場」というものを真似て

こじんまりとやっていたころ。

 

自分が誰かに迷惑をかける行為をしたとする。

そしたら親が相手のところへ行って

何か手土産持って頭を下げに行く。

 

それを見させられる子供は多くの場合

深く傷つく。

 

ですが帰宅した後の親の態度次第で

この謝罪した親の姿の意味が

子供にとって変わることがあります。

 

帰宅して

「二度と同じことを親にさせるんじゃないぞ!」

 

と言われたりするか

もしくは

 

「お父さんも昔似たようなこと

やらかしたことがある。

生きとったら色々あるもんや。^^」

 

そう言ったりしてもらえたか。

(他にもサポートの仕方は

色々あるでしょう。)

 

前者より後者のお父さんの方が

私なら自分を守ってくれたというか…

包んでくれた気がします。

 

こんな親に育ててもらえたら失敗しても

「自分にはサポーターがいるし

何とか自分でやれるところまで

やってみよう。」

と思えるかもしれません。

 

ですが、親自身が

毎回自分の過去の経験から

失敗した我が子に自分を投影し

過去の自分を許せず

今、目の前にいる我が子を見ようともせず

あれこれ言うてしまうとしたら

 

それはその親子にとって

辛い関係性になってしまいます。

 

その子が大人になってから、それは

親の中だけの正義や普通や常識であったと

分かったとしても。

 

その時、親の目に映っていた子供の姿は

自分ではなく、そして自分は投影を起こされ

今ここにいる自分を見てもらえていなかった。

ということに、やはり怒りを覚えるでしょう。

 

前回のブログで店長さんが

70代のおじさんに頭を下げた姿を見たとき

私は20代のスタッフを

必死で守ろうとしていると感じました。

 

人によっては

そうは捉えない人も居るでしょう。

 

10代の多くは実際そう感じる人が多い。

 

何が正解で何が間違っているというより

 

その光景を自分という生きてきた歴史

(地球規模で言うと一瞬だけどね(笑)

の経験から見たとき

人生の前半で受けた影響を

後半で再度あぶりだしが起きても

それらをチャンスと捉えて

そのあぶり出しによって

人生を軽く生きていける自分でありたいな。

と思うんですね。

 

※あぶりだしとは

「ゼロリセット」でもお伝えしておりますが

人生の前半で植え付けられた傷や信念を

人生の後半で出会う登場人物達が再現し

そこで気付きを起こしてくれる出来事達です。

 

切っ掛けとしては社会人になった時や

結婚した時、子供が出来たとき、

結婚しなくても子供が出来なくても

何らかの出来事は日々起きていて

気付きの宝の山は沢山散らばっています。

 

私たちは時に

自分が経験してきたことを前提に置き

本当はよく分かりもしていないのに

分かったような気落ちになったり

人の心のなかに無意識に土足で不法侵入

してしまっていることがあります。

 

今、目の前にいる人に対して

最大限の尊重ができているか。

 

そしてそこに一致感はあるか。

 

さらに介入する前に敬意を払えているか。

 

そんなことを、この頃強く思うんです。

 

人とプライベートで関わる時であったら

なおのこと

 

人に合わすのでもない。

マウンティングでもない。

パワーゲームでもない。

 

違和感を残したまま会話を進めることは

お互いにとってストレスです。

 

相手の思うこと感じることもOK

そして

自分の感じること思うことが

相手と違っていてもOK

 

そんなふうに

お互いが思える関係が楽だなと。

 

相手を負かすとか

相手に恥をかかせるとか

そういうことではなく。

 

そして相手に

こうしなさい

こうした方がいい

ここはこうでしょ

 

などと押し付けるのでもなく

 

つまりそれは

 

お互いが持ってるものが全く同じだなんてこと

気持ち悪いでしょ。

 

価値観が合うから

好みが似てるから

だから

仲が良くなれるんでしょうか。

 

そしたら相手のことを

自分が思っている姿とは違う部分を見た時

勝手にがっかりして

幻滅するんじゃないだろうか。

 

自分とは違うところがあってもOK

私も相手のためにいるわけじゃないのだから

相手の期待に応えるためにいなくてもOK

 

つまり

 

正義だけではなく

普通も常識も

一般論として集合無意識で

植え付けられているものや文化は

あるかもしれませんが

ジグゾーパズルのように

ぴったりハマるわけじゃないでしょう。

 

そしてそのピースで作られるものは

一人一人違う作品で当たり前。

 

さらに言うなら、

そのジグゾーパズルは何回でも

ピースを合わせ直すことが出来る。

一回目からぴったりはまる

ピースでなければいけないわけじゃ

ないのだから。

 

今日は

「一人一人の正義は違って当たり前。その人の生き方を尊重できているかどうか?」

って話でした!

 

 

 

~~~~~

 
カウンセリングでは
今まで生きてきた 「出来事」たちによって
あなたの胸に深く刺さったトゲや傷を
私と一緒に勇気をもって抜いたり消毒したり
時には縫合したりして共に治療していきます。
 
そのトゲ、傷は様々な出来事たちのシーンを
ダウンロードされたことによって
思い込みや、信念を埋め込み
選択種が他にないように思いこまされたり
あなたの人生を生き辛くさせたりします。
 
だからこそ、言葉にして語ることで
抑え込んでいた感情も
一緒に吐き出しやすくなり
そこで新たな発見や気づきに出会い
一つ一つ丁寧にひも解いていけるんですね^^
 
一つひも解けば、その分軽くなります^^ 
その一つが大きな出来事なら、なおさらです^^ 
だからこそ、 軽くなりたい方
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