2011 温もりを求めて

夫婦・親子・人間関係・機能不全家族・発達障害ADHD・虐待・トラウマ・ネグレクト・セックスレス・モラハラ・産前産後の不安などについて。

この子嫌だわ…子供を見て親に限らず先生と呼ばれる人も含めて感じた時それがある意味チャンスです。

奈良県生駒市で 家族問題カウンセラーをしております。

 

主に 夫婦関係カウンセリング 親子・育児相談

(保育士の経験もありますので色々な方向から) 

 

人間関係など・・・

 

心が傷ついて考えても

同じところに戻ってきてしまうパターンが始まったら、

 

一度のぞきにいらしてみてください。

 

お役にたてれば幸いです。

 

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-believe in yourselfー 自分の考えを信じてね・・・

 

 

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アメブロ過去記事11月4日投稿記事より…

 

 

※いつもお読みいただき有難うございますm(__)m


ブログをアップしてもここ最近皆さんの所へお邪魔できず申し訳なく思います。


私のブログで何かの助けになれますことをがあれば大変有難く嬉しく思います。


今日も宜しくお願いしますm(__)m

 「この子嫌だわ…子供を見て、
親に限らず先生と呼ばれる人も含めて感じた時
それはある意味


チャンスです。」

 

 (本日の記事は
2014年10月22日に投稿した過去記事を
加筆修正し再投稿したものです。)


今日は指導者について書いていきます。

勿論親御さんにも参考になると思いますよ^^

大人が子供を見て

この子嫌だわ…

と感じるとき…


子供らしくない。

生意気な口を叩く。

睨みつける。

我がまま。

自己主張が強い。

アピールが強い。

大人ぶった態度や物言い。

素直じゃない。




まぁ~あげたらキリがない(笑)




大人が上記のような子供に反応するとき
その大人の中に色んな問題とリンクしてるんですね。

だから、その問題はその大人の中にある。


自分では その時は分からないけど
話していくうちに自分の何処かの過去と
思いっきりリンクしていることに気が付いていく・・・




お教室のコンサルなんかでよくあるのが

「生徒が増えないので何とかしたい」

「ここの生徒は扱い辛い」

「原因は地域性もあると思う。」


っていうね^^;


まぁ、確かに地域性は多少あるかもしれません。

でも、それがすべての原因ではないですよね…




ちょっとここで、ふじたの話。

興味ないかもですけどね…


ふじたが初めて先生と呼ばれた年齢は

「20歳」の時です。


保育士になれば 自分より年上の父兄の方々から

「先生」

と呼ばれてしまいます。

この言葉、それ以来好きじゃなくなりました^^;



この言葉に
人を変えてしまう不思議な魔力と言いますか…
そんなものが ある気がします。


だから今でも
「先生」
って呼ばれるのが好きではありません…


あ、でもこれね ふじたの場合です。

先生って呼ばれても
軸をしっかり保ておられる方も多いので^^

(今現在は、先生と呼ばれても
OKな私になっています。
一年前とはえらい違いですね…(笑))


ただ、この言葉が
ついそのつもりではなくても上から目線になり
人を抑圧し
指導者と言う立場で人を
コントロールできると…
コントロールしていいと…

思ってしまう人がいてもおかしくないな~
と思うのです。



教室はお勉強する所だと言い聞かせては見ても、
その子は来たくて来ているわけではない子もいる。

親と相談し、勿論 体験と言う段階も経て子供に

「やる?」と聞き

「うん」と

その時言ったとしても
例え、本人あの時そう言ったとしても

体験は楽しいもんです。

体験は楽しくできてるんです。

だから、その後やっていくうちに
お教室へ向かう足が
重くなることもあるでしょう…


それでも
「あなたが行くと自分で決めたんしょう!」

って責めたって
状況は一刻一刻変化っしてくのですから
その責め方は間違っている。

大事なのは
いつも繰り返しお伝えしているように

本人が今どういう気持で居るのか。

と言うこと。

そこを聞いて 知ってあげることで
気持ちが軽くなって
その気持ちを
知ってくれているその事実が
受け止めてくれたその事実が

また頑張る気持ちになる。




…こともある。


サポートするならそっちからです。


それが指導者に出来れば
生徒と指導者の距離は自然と縮まるでしょう。

ただし、

ただしです。

この指導者側に
最初に書いたような
子供を見て反応する傷があると

このサポートは たやすくないです。


それでもね、 本人がそこに気がつかれんことには
私等は手が出せません…正直な話…


時期が来るまで待つということになりますね…





私等は日常の中にいくらでも
気付きに出会うチャンスは転がっています。


それをまず知ることが出来るか否か

知っても認めることが出来るか否か

認めても実際に触れて匂いを嗅いで…

とできるか否か




です。



私は大丈夫です。




これが一番危険かもしれません…


っていうより、厄介。。。

かも知れません…^^;



今日は

「この子嫌だわ…子供を見て親に限らず
先生と呼ばれる人も含めて感じた時
それがある意味チャンスです。」

ってお話でした。


指導にあたる先生方は
自分と向き合う時間がほぼ皆無です。

時間がないほど忙しい方がいいい。

と言う人も居ます。

でもそれによって
その方は何から逃げることが
出来ているんでしょうか…


ってお話でもあります。



まぁ、逃げてもいいんだけどね。。。


よくあるのが、何かに必ず
「教育」と言う言葉をつけたり
「指導」と言う言葉をつけて
親の目を引くやり方です。

これは、塾に限ったことではないです。

色んな現場で色んな目論見で色んな意図をもって
使われたりしております。



そういう物に目が引く人は

そういう物で釣る人の所へ

当然ことながら・・・

引き寄せられていきます。

(そして、そういうやり方をされている方は
理論武装者で、自分と向き合うこととは

ほぼ 皆無です。)


そして、相手を不安と恐怖で囲い
その不安や恐怖から
あたかも自ら行動を起こさせたように仕向け

そして、その人はその「不安と恐怖を無くすため…」
と思っての行為だったはずが
必ずまた新たな不安と恐怖を呼び起こします。

そして益々
そこから逃げられなくなります。


理論武装者は頭がいい。


そのからくりに

いつ気がつけますか?





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